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嫌な笑いかたをする先生を見て、新たな決意がこみ上げてきました。 試験まで3カ月、そうは言ったものの果たして可能かどうか疑問でした。
会社を休んで特訓をしよう。 そう思い、社長にお願いし、3カ月休ませて欲しいと頼みました。
社長は、「商売人は資格は要らない。 余計な資格があると邪魔になる。」と反対しましたが、結局休ませてくださいました。
有言実行です、まわりの人に言いまわって、自分にプレッシャーをかけました。 商学部出身ですから、あまり法律は勉強していません。
受験の為の勉強は、過去の問題を徹底的に調べ、答案練習のみの勉強です。 朝から晩まで、3カ月やりました。

そして1回で見事合格、そのときは最高の充実感でした。 修行がまだ3年残っていますので、司法書士は会に入会しただけで業務はしませんでした。
社長にお許し願って、昭和51年1月不動産業者として独立しました。 最初は当然お金がないので、仲介が主な仕事でした。
そのうち借入も出来るようになり、建売と収益物件を手がけるようになりました。 バブル崩壊までは、順調そのものでしたが、バブル崩壊(平成2年4月総量規制の発動時)と共に不安が広がりました。
昭和48年の総量規制は4カ月でしたので、今回も1年我慢すれば、また、3割土地が下がっても、含みが借入金の倍あるので充分やっていけると判断しました。 、しかし大きな判断ミスをおかしたのです。
毎月元利で3億円支払っていましたので、余裕資金及び毎月の家賃では長くは持ちません。 含みのある物件を売却し、返済をもしていきました。
しかし当時は、土地重課及び保有税等税金も支払わなければなりません。 業界の役で総量規制撤廃を陳情によく東京へ行きましたが、「業界のエゴだ。」と言われ、なかなか撤廃にはなりません。一部の経済学者と政治家はこの総量規制(劇薬)を続けると、日本経済がめちゃくちゃになってしまうことを、唱えていました。
平成4年6月遂に毎月の支払いが出来なくなり、債権者に計画書を持って、お詫びとこれからの返済計画の説明に廻りました。 当時、銀行ノンバンク等併せて23行ありましたので、廻るのも時間がかかりました。
大阪駅より難波まで歩くことにより、大体の債権者を廻ることが出来るのです。 私自身非常な苦痛で廻りましたが、毎月伺って説明していると担当者の方も、「また、融資を再開しましょう。
」と言って下さる方も出てきました。 逃げないで誠意を持って対処することが、一番大切なことと教えられました。

現在まだ整理は終わっていませんが、この失われた10年は、私のこれからの人生の最大の肥やしだったと思います。

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